
私は幼い頃から動物が大好きで、中でも大きくて優しい瞳を持つ象に特別な憧れを抱いていました。ある日、テレビで見たスリランカの象のドキュメンタリーが、私の心に火を点けました。
南国スリランカで悠々と歩く象の親子や、水浴びをする群れの姿――その光景はまるで絵本の中の奇跡のようで、気づけば私は涙ぐんでいました。「いつか本物のスリランカの象に会いたい!」 そんな想いが私の胸に芽生え、この旅のきっかけとなったのです。


スリランカの現地語で象は「Aliya(アリヤ)」。この響きさえもどこか愛おしく、旅立つ前から私はスリランカという土地と象たちに強く引き寄せられていました。


この記事では、国立公園でのサファリ体験、象の神聖さにまつわる文化、そして観光の陰に潜む問題と保護への取り組み――観光・文化・倫理の3つの視点から、スリランカの象の魅力と現実を綴ります。




象に会えるスリランカの観光スポット巡り
スリランカは野生動物の宝庫であり、とりわけ象との出会いは旅のハイライトです。私も象に会うために各地を巡りました。ここではスリランカで象に出会える主な観光スポットを、私の体験と共にご紹介します。
国立公園サファリで野生の象に遭遇
まず訪れたのは、スリランカ南部のウダワラウェ国立公園です。
空港に降り立った翌日、私はワクワクしながらジープサファリに参加しました。広大な草原に朝日が差し込む中、ひんやりとした風と土の香りが心地よく肌を撫でます。ほどなくして藪の陰から灰色の巨体が姿を現しました。


親子の象の群れです!母象の足もとに小さな子象が寄り添い、鼻先でじゃれ合う様子に、胸がぎゅっと熱くなりました。



ガイドさんによれば、ウダワラウェには約500頭もの野生象が生息しており、年中ほぼ確実に象に出会えるそうです。その言葉通り、サファリ中に何度も象の群れに遭遇し、野生の象たちの日常を間近に感じることができました。
続いてスリランカ中央部のミンネリヤ国立公園へ向かいました。ここはなんといっても“エレファント・ギャザリング”で有名な場所。





乾季の7~10月になると、園内のミンネリヤ貯水池に水を求めて周辺から100頭以上の野生象が集まるのです。その光景は世界でも屈指の圧巻さで、まるで象の大集合パーティー!
私が訪れたのは8月下旬、夕暮れ時の貯水池周辺には大小様々な象がのんびりと草を食み、水を飲み、戯れていました。ガイドは「これが世界最大規模の野生の象の集会ですよ」と誇らしげに教えてくれ、私も大興奮。
乾いた大地に夕陽が落ちる頃、一斉に甲高いラッパのような象の鳴き声が響き渡り、鳥肌が立つほど感動的でした。
一方、南東部のヤーラ国立公園では、サファリ中に森の奥からひょっこり現れたオス象の単独行動を目撃しました。





ヤーラはヒョウで有名ですが、実は象も生息しています。私が出会ったオス象は立派な牙を持つ“タスカー”と呼ばれる個体で、堂々たる風格に思わず息をのみました。
ただしスリランカのオス象は約9割が牙を持たないため、野生でタスカーに会えるのはとてもラッキーだそうです。ヤーラでは他にも水浴び中の象数頭を遠目に見られ、ヒョウ探しの合間に象にも出会えて得した気分です。
このように、スリランカには象に会える国立公園が数多く存在します。



特にウダワラウェ国立公園は「年間を通じていつでも野生の象に出会えるベストスポット」として有名ですし、ミンネリヤ国立公園のエレファント・ギャザリングは一生に一度は見たい光景です。
下の表に、主な国立公園での野生象との出会い方をまとめました。
国立公園名 | 所在地 | 推定生息数 | 象に会えるポイント |
---|---|---|---|
ウダワラウェ国立公園 (Udawalawe) | 南部内陸 | 約500頭 | 年間を通じ高確率で象に遭遇。特に乾季は水場に集まりやすい。 |
ミンネリヤ国立公園 (Minneriya) | 北中部 | 約200頭 | 7~10月に「象の大集合」 (100頭以上が貯水池周辺に集結)。 |
ヤーラ国立公園 (Yala) | 南東部 | 約300頭 | ヒョウ目当ての観光客も多いが、乾季は水場で象に遭遇するチャンス。 |
ウィルパットゥ国立公園 (Wilpattu) | 北西部 | 約100頭 | 密林の奥地に生息。遭遇率はやや低いが、人の少ない静かな環境で探せる。 |
ピンナワラ象の孤児院:大きな家族とのふれあい
スリランカで象に会うなら外せない有名スポットがピンナワラ象の孤児院(Pinnawala Elephant Orphanage)です。





私はキャンディ観光の途中、この象の孤児院を訪れました。川沿いにある敷地には、親子や仲間同士で集うたくさんの象の家族!
園内では毎日決まった時間に象たちが川で水浴びをするのですが、その様子を見学できるとあって多くの観光客で賑わっていました。大勢の象が一列に川へ向かって歩く姿は壮観で、私も川岸の見物エリアから思わず拍手。
水しぶきを上げて気持ちよさそうに体を濡らす象たちは、本当に楽しげで微笑ましい光景です。
飼育員さん(現地語で”Mahout(マハウト)”と呼ばれる象使いたち)が子象にミルクをあげたり、観光客が象にフルーツを手渡しで餌やりできる体験タイムもあり、まるで大きな象の家族に迎えられたような温かい気持ちになりました。


しかし一方で、私の胸には少し引っかかる思いも芽生えました。というのも、一部の大人の象たちは短い鎖に繋がれていたり、飼育員が持つ鋭い先端のついた棒(ブルフック)で合図を送っている姿を目にしたからです。



ピンナワラは「孤児院」の名の通り元々親を失った象の保護施設として1975年に始まりました。現在も約70頭以上の象が暮らし、中には地雷で脚を失った象や視力を失った象も引き取られているそうです。
観光客に象の生態を知ってもらいながら保護資金を得るという目的で運営されていますが、近年では観光寄りの運用に偏っているとの批判も耳にします。
例えば「象使いが象を鎖で繋ぎストレスを与えている」「営利優先で象への配慮が足りない」といった動物愛護団体からの指摘です。



実際、私が見た餌やり体験でも、観光客が次々と象に触れるため象が落ち着かない様子もありました。それでも、ピンナワラで出会った象の赤ちゃんが私の手からミルク瓶を一生懸命吸う姿には「この子たちが幸せに暮らせますように…」と願わずにはいられませんでした。
象と人間が触れ合える貴重な場であるからこそ、象たちが快適に過ごせるよう十分な配慮がなされてほしいと強く感じました。
デヒワラ動物園で象に会う
コロンボ市内で気軽に象に会いたいなら、デヒワラ動物園(正式名称:スリランカ国立動物園)も一つの選択肢です。
首都近郊にあるこの伝統的な動物園は、私も帰国前日に立ち寄りました。
園内はそれほど広くありませんが、象を含む多種多様な動物が飼育されています。象の飼育施設へ足を運ぶと、ちょうど飼育員さんが象に指示を出して簡単なショーのようなことをしていました。





大きな象が合図に従ってお辞儀をしたり、器用に丸太を持ち上げたりする度に、子供たちから歓声が上がります。私も「なんて賢いんだろう!」と感心しましたが、同時に「この子は本当は森で自由に暮らしたかったのかな…」という複雑な思いも胸をよぎりました。



デヒワラ動物園は100年以上の歴史を持ち、長年地元の人々にも愛されてきました。ただ近年は動物福祉の観点から、狭い敷地での大型動物飼育に課題があるとも言われます。
象舎を覗いたときも、コンクリートの地面にチェーンで繋がれた象の姿があり、ピンナワラで見た生き生きとした象の群れとの差に胸が痛みました。



観光客として動物園で象を見ることにも賛否あるかもしれませんが、実際に訪れてそうした現実を知ることもまた大切だと感じます。「スリランカの動物園」と検索すると多くの情報が出てきますが、現地で直接向き合ったからこそ感じられることがありました。
エレファント・トランジット・ホーム:野生に返すための優しさ
ウダワラウェ国立公園の近くにあるエレファント・トランジット・ホーム(Elephant Transit Home、ETH)は、ぜひ紹介したい特別な場所です。





ここは人間と象との理想的な関係を目指す施設で、将来野生に戻すことを前提に孤児象を保護・育成するセンターです。スリランカ語では「Udawalawa Ath Athuru Sevana(ウダワラウェ・アス・アトゥル・セワナ)」と呼ばれています。



私はウダワラウェでのサファリ後、このトランジット・ホームを訪れました。ちょうどミルク給餌の時間になると聞き、見学デッキで待っていると、小さな象の赤ちゃんたちが次々と森の奥から駆け寄ってきました!合計で40頭ほどでしょうか、みんな母親代わりの飼育スタッフに続いて整列すると、大きな哺乳瓶でミルクをもらい始めました。
その姿の愛らしいことと言ったらありません。どの子も夢中でミルクを飲み干すと、また森へと帰って行きました。ここでは人間は必要以上に接しないよう管理されており、給餌タイムも観光客は柵越しに見守るだけです。
触れ合えないのは少し寂しい気もしますが、これは象が人間に慣れすぎないようにするため。将来自然に返された際に野生で生き抜く力を身につけるための工夫なのです。



スタッフの方に伺うと、1995年の開設以来100頭以上の子象がここで育ち、その後自然公園内へ放たれたそうです。
森へ帰る日までの一時的な滞在場所という意味で“Transit Home(中継所)”と名付けられたとのことでした。私が見た子象たちも、数年後には広いジャングルで自由に暮らすのだと思うと胸が熱くなります。
この施設は政府と民間(環境保護団体)の協働で運営されており、象を観光資源ではなく野生動物として尊重する姿勢が随所に感じられました。
エレファント・トランジット・ホームを訪れたことで、象に優しく接する観光の在り方を深く考えさせられました。



最後に、こうした象と出会える施設を含めて、私が訪れた「象スポット」の特徴をもう一つの表にまとめます。
名称 | 種類・目的 | 飼育頭数 | 特徴・備考 |
---|---|---|---|
ピンナワラ象の孤児院 (Pinnawala) | 保護施設(観光寄与型) | 約70頭 | 象の餌やりや水浴び見学が人気。観光客との触れ合い機会が多い。 |
エレファント・トランジット・ホーム (ETH) | 保護施設(野生復帰型) | 約40頭 (常時変動) | 孤児象を野生へ戻す中継施設。給餌見学可。触れ合い不可でストレス軽減。 |
デヒワラ動物園 (Colombo Zoo) | 動物園 | 数頭 | 都市部で象を展示。昔ながらの動物ショーあり。施設の老朽化や狭さが課題。 |
スリランカ文化と象:神聖な存在となった理由
旅を通じてもう一つ強く感じたのは、スリランカにおける象の特別な精神的存在感です。
象は単なる野生動物にとどまらず、スリランカの文化や信仰と深く結びついた神聖なシンボルなのです。なぜ象がそれほど尊ばれているのか、旅先で出会った人々の話や体験から学んだことをご紹介します。
仏教と象:白い象がもたらす神聖な予兆
スリランカは国民の多数が信仰する上座部仏教の国です。仏教の教えや伝説の中で象はしばしば重要な役割を果たします。
その象徴的エピソードが「白い象の夢」です。約2500年前、お釈迦様(ブッダ)の生母マーヤー夫人が出産前に見た夢の中に、純白の象が現れました。


白象は当時のインド文化において神聖な存在であり、王権や繁栄、純潔さの象徴とされていました。
夢の白象は夫人の胎内に入っていき、目覚めた夫人が占い師に尋ねると「それは偉大な聖者が誕生する兆し」と告げられたと伝わります。



この物語から分かるように、白い象=聖なる予兆というイメージが仏教世界には根付いています。実際、スリランカを含む仏教国では古来よりアルビノの象(白象)は瑞兆とされ、王族や寺院によって大切に保護されてきました。
また仏教の経典や物語には、象が仏陀や高僧を助けたり敬意を示す話も登場します。例えばお釈迦様が幼少期に暴れ象を一声で鎮めた逸話や、修行僧を背に乗せて川を渡した善良な象の話などです。



慈悲深く力持ちな象は、菩薩(悟りを求める者)の象徴とも言われ、人々はそこに仏の徳を重ねました。スリランカの人々と話していても「象は賢く善良な生き物だから、仏様に愛されるんだよ」といった声を何度も聞きました。
その言葉通り、寺院では象への餌やりが善行とみなされる場面もあります。仏教文化の中で象は聖なる生き物として位置づけられ、誰からも敬意を持って接せられているのです。



仏教だけでなく、スリランカのヒンドゥー教徒にとっても象は特別です。ヒンドゥー教には象の頭を持つ神様ガネーシャ(現地ではガナパティとも)がいます。
ガネーシャは障害を取り除き富をもたらす神として広く崇敬され、ヒンドゥー寺院では象が神聖な乗り物として儀式に参加することもあります。こうした多面的な宗教背景から、象は神の使いあるいは神聖そのものとみなされ、スリランカでは古来より保護と崇拝の対象となってきました。
ペラヘラ祭り:輝かしい象たちが担う仏歯の儀式
スリランカ文化における象の神聖さを象徴する最大のイベントが、毎年夏にキャンディで開催されるエサラ・ペラヘラ祭りです。私は8月にキャンディを訪れ、この有名なお祭りを観覧しました。




夜の街に太鼓や笛の伝統音楽が鳴り響き、何百もの踊り手や楽隊が色鮮やかな衣装で行進します。その中心にいるのが輝かしく装飾された象たちです。


ペラヘラ祭りは仏教の最高の聖遺物である「仏歯(ぶっし)」、すなわちお釈迦様の歯を祀る儀式の行列です。
キャンディの仏歯寺(スリ・ダラダ・マリガワ)に収められた仏歯を模した宝物が象の背に乗せられ、街中を練り歩きます。



私が見た夜も、ひときわ大きな象が体中に電飾と錦の衣装をまとい、背中に黄金の塔のような容器を載せてゆっくりと歩いてきました。
沿道の人々は手を合わせ拝み、一帯の空気は厳かな緊張感に包まれました。その象は「マリガワ・タスカー」と呼ばれる選ばれし象で、仏歯という国宝を運ぶ大役を代々務めています。



歴代のマリガワ・タスカーには特に立派な牙と温厚な性格を持つ象が選ばれ、その名は国中に知れ渡る存在でした。
例えば有名な“象の王”ラジャ。彼は1950年代から約50年もの間、この祭りで仏歯を背負い続けた伝説の象です。
威風堂々と行進するラジャの姿は絵葉書や切手にもなり、人々に愛されました。1988年に老衰で他界した際には、スリランカ政府が国民喪日に指定し全国でその死を悼んだほどです。



遺体は大切に剥製保存され、今もキャンディの博物館「ラジャ博物館」でその姿を見ることができます。私も訪れてみましたが、そこには黄金の衣装に身を包んだラジャが今にも歩き出しそうな姿で展示されており、多くの参拝客が静かに祈りを捧げていました。
ラジャの生前の写真や逸話も紹介されており、象がいかに国の文化遺産として敬われているかを痛感しました。
ペラヘラ祭りの夜、私は行進する象たちを眺めながら不思議な感覚にとらわれました。熱気に包まれた群衆の中で、象だけがゆったりと落ち着き払っているのです。
煌びやかな衣装と明かりに身を包み、ゆっくりと優雅に歩む象たちは、まるで歩く神殿のようでした。その姿に手を合わせ涙ぐむ年配の女性や、一心に写真を撮る外国人観光客――象は宗教的シンボルであると同時に、人々の心を結ぶ存在でもあるのだと実感しました。



スリランカで「なぜ象は神聖なのか?」という問いへの答えは、このように歴史と宗教、文化の積み重ねの中にあります。仏教の聖なる物語、伝統行事での崇高な役割、王朝時代からの保護政策。
象は国を象徴する存在として愛され、人々の精神性に寄り添ってきたのです。旅人である私も、キャンディの光景を目にしていつしか象に手を合わせ、「ありがとう」と心の中でつぶやいていました。
観光の陰に潜む問題と象を守るための挑戦
楽しく感動に満ちた象との出会いの一方で、私はスリランカで象にまつわるいくつかの問題にも目を向けることになりました。象を取り巻く現実は決して楽観できるものばかりではありません。
観光産業や人間社会との関わりの中で生じている象の悲しみ、そしてそれを乗り越えようとする人々の努力について、ここで触れておきたいと思います。
観光の陰に潜む象たちの悲しみ
私たち観光客にとって象との触れ合いは最高の思い出になります。



しかし、その舞台裏では象たちが人知れず苦しんでいる可能性があることを、この旅で痛感しました。先に述べたピンナワラ象の孤児院やデヒワラ動物園で感じたモヤモヤはまさにそれです。
アジアの一部観光地では象の背中に乗る「象乗り体験」が人気です。スリランカでも以前は観光客向けに象乗りを提供する企業やホテルがありました。
私も正直、旅の計画当初は「象に乗ってみたい!」というミーハー心がありました。しかし色々調べるうちに、その裏には過酷な調教が隠れていると知ります。



生後間もない子象を母親から引き離し、狭い檻に閉じ込めたり暴力で服従させたりする訓練(いわゆるプージャン)を経て、ようやく人を背中に乗せられる象が出来上がるのだとか。



その話を聞いて以来、私は象に乗ることは象を傷つけることだと思うようになりました。実際スリランカでも、近年は象乗り体験を中止する施設が増えてきています。政府も新たな規制を設け、観光客が象に乗る場合は1頭につき最大4人まで・柔らかい鞍を使用することなど象への負担軽減を義務付けました。
また観光用の象だけでなく、寺院で飼われている「寺院象」の扱いにも議論があります。ペラヘラ祭りで活躍する象たちは式典以外の日常では鎖に繋がれ屋内でじっとしていることが多いと聞きました。
そのストレスや運動不足で病気になる象もいるそうです。私はキャンディ滞在中、日中に仏歯寺の裏手で繋がれている象を目にしました。
きらびやかな衣装は脱ぎ捨てられ、静かに立ち尽くすその姿は少し寂しげにも見えました。もちろん大切に世話はされているのでしょうが、人間の都合で自由を奪われている現実には変わりありません。
私たち旅行者にできることは、まず象に優しい選択をすることだと思います。
象乗り体験ではなく、自然な生態を観察できるサファリやエシカルな施設を選ぶ。象と触れ合いたくても無理に接触しない。例えば私はピンナワラでの餌やり体験後、「次は直接触れ合うより、遠くから見守る形で象を感じたい」と思い、ウダワラウェのトランジット・ホーム見学を選びました。



そうした小さな選択の積み重ねが、象たちの待遇改善につながると信じています。スリランカ政府も象の保護法規制を強めており、観光目的の象にも毎年健康診断を義務付けたり、象使い(Mahout)が勤務中に飲酒することを禁じたりといった細かなルールを定め始めています。
象という国の宝を守るため、観光業者・行政・旅行者それぞれができることを模索していく必要があるでしょう。
人と象の共存に向けた挑戦
スリランカの象問題でもっと根深いのは、野生の象と人間社会の衝突です。
豊かな生態系を誇るこの島国では、長年人と象が隣り合わせに暮らしてきました。しかし近年、開発や人口増加に伴って象の棲む森が減少し、両者の距離が急速に縮まっています。



その結果各地で、人里に出没した象が農作物を荒らしたり人を襲ったり、逆に農民が象を追い払おうとして殺傷したりといった悲劇が後を絶ちません。これを「人間と象の衝突(Human-Elephant Conflict, HEC)」と言います。





私がスリランカを訪れた2020年代前半は、まさにこの人と象の衝突が深刻化している時期でした。ニュースによると、2023年には470頭もの象と176人の人間がこの衝突で命を落としたそうです。
象の死亡数は記録史上最悪で、その約半数は人間によって殺されたとのことでした。一方で犠牲となる人間も後を絶ちません。現地紙には「ある村で高齢の母親が薪拾い中に野生象に襲われ死亡」という痛ましい記事も載っていました。



村人にとって象は生きる脅威であり、象にとっても人間は生存を脅かす存在となってしまっているのです。スリランカは世界で最も人間と象の衝突による死者数が多い国との指摘もあり、豊かな野生動物王国の裏側でそんな事態が起きているとは大きなショックでした。
ウダワラウェで出会った野生象の群れを思い出すと、彼らにもこうした危険が迫っているのかと思い胸が痛みます。ガイドに尋ねると「開発が進む北中部では特に深刻だ。
象が餌を求めて畑に入り、人が怒って爆竹や電気柵で追い払う。怒った象が暴れて人を傷つけることもある」と教えてくれました。



乾季に水や食料を求めて村に迷い込んだ象が、誤って人間を襲ってしまうケースもあるようです。さらに密猟や毒殺といった悪質な事件も時折発生します。
象牙目当てではなく、農民が報復で毒入りの果物を仕掛けるといった悲しい話も耳にしました。自然保護区の外に暮らす象たちは常に命がけなのです。
こうした状況を食い止めようと、スリランカ政府や現地のNGOは様々な共存プロジェクトに取り組んでいます。代表的なのは電気フェンスの設置です。


村境や農地の周りに弱い電流が流れる柵を巡らせ、象の侵入を防ぐ試みで、多くの地域で導入されています。ただし象は非常に賢く力も強いため、フェンスを壊したり別の場所から回り込んだりして突破してしまう場合もあるとか。
また象の回廊(コリドー)作りも進められています。開発で寸断された森と森の間に象専用の通り道を確保し、象が集落を通らず移動できるようにする計画です。
さらにユニークなアイデアとして、養蜂や作物転換も推奨されています。



例えば象が嫌がる唐辛子やシトラス系果樹を畑に植え、人間の収入源にもしてしまおうというものです。実際「プロジェクト・オレンジ・エレファント」という団体は、農家にオレンジの苗を配布して象被害を減らす取り組みを行っています。
象は柑橘の匂いを嫌うため畑に近寄らなくなり、農家は収穫したオレンジを売って収入を得る――まさに一石二鳥の試みですね。他にも「象と人の共存村」のようなモデル地区を作り、住民教育や監視体制を強化して被害を抑えている所もあるそうです。
私が旅で出会った中にも、この問題に心を痛め行動する人がいました。キャンディのゲストハウスで会った若い女性は環境NGOスタッフで、「毎年多くの象が命を落としている。私たちはフェンス設置よりもっと根本的な解決策が必要だと思っている」と語ってくれました。



彼女は小学校で子供達に象の大切さを教える啓発活動を担当しており、「未来を担う子供達が象を守ろうと思ってくれれば希望があるわ」と微笑んでいたのが印象的です。
スリランカにとって象は国の象徴であり誇りです。その象が減少の一途を辿ることは文化的損失でもあります。実際、19世紀には島内に2万頭以上いた象が、今では約5千頭前後とも言われ、生息数は昔の4分の1以下に落ち込んでしまいました。
幸い、政府も象の保護には本腰を入れており、野生象の捕獲禁止や象保護区の指定など法整備が進んでいます。スリランカ象はワシントン条約で国際取引も禁止された絶滅危惧種です。
人と象がこれ以上傷つけ合わずに共存できる未来を築くことが、今まさに急務となっています。
終わりに:象が教えてくれたこと(読者へのメッセージ)



こうして振り返ると、私のスリランカ旅はいつも象と共にありました。雄大な野生の象たちとの出会いに胸が高鳴り、伝統文化の中で輝く象に心洗われ、そして象を取り巻く問題に胸を痛めました。楽しいだけではなく考えさせられる場面も多々ありましたが、それでも私の心に一貫して残っているのは「象ってなんて温かく尊い存在なんだろう」という思いです。
現地で感じた象の優しい眼差し、家族思いな仕草、人間に見せる穏やかさ――象たちは言葉を持たない代わりに、深い愛情と教えを私たちに示してくれました。象の背中に触れた時のぬくもり、子象がはしゃぐ姿に笑った自分、森に帰る象を見送った時の祈るような気持ち…。旅の中で芽生えたこれらの感情は、きっと記事を読んでくださっている皆さんにも伝わるのではないかと思います。
スリランカの象が置かれた状況は決して楽観視できません。それでも、私が出会った多くの人々が象を愛し、守ろうと懸命に頑張っていました。



ガイドさんが教えてくれた「象はスリランカの誇りなんだ」という言葉、NGOスタッフの「共存のために出来ることを諦めない」という瞳の強さ。そこには確かな希望がありました。象と人との長い付き合いの歴史を途絶えさせず、次世代に引き継いでいきたい――そんなスリランカの人々の想いに触れ、私は深い感動を覚えたのです。
最後に、読んでくださった皆さんへのメッセージとして、この旅で得た大切な気づきをお伝えしたいと思います。それは「相手の立場に立って思いやる心」の大切さです。これは象との関わりに限ったことではありません。



旅先で出会う動物や自然、人々に対して、想像力を働かせて優しく接すること。その積み重ねが、世界を少しずつ良くしていくのだと象たちが教えてくれました。スリランカの象に魅了された私の物語が、皆さんの心にも小さな温かい灯火をともせたなら幸いです。
そしていつか皆さんも現地で象たちに出会い、その偉大さと優しさを肌で感じてみてください。きっと人生の宝物になる素敵な体験になることでしょう。
スリランカの大地で出会った象たちと、それを支える人々に心からの敬意と感謝を捧げつつ…。ボフマイスツティ(ありがとうございます)!